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『コングレス未来学会議』

2013(イスラエル/ドイツ/ポーランド/フランス/ベルギー/ルクセンブルク)120分 

監督:アリ・フォルマン

(あらすじ)難病の息子を育てている女優のロビン・ライト(本人役)は、ミラマウント社と「自身を全身スキャンしてデジタルデータ化する」という契約を結ぶ。この契約により、ロビン本人は今後一切の女優活動を禁じられ、スクリーンにはCGのロビンが出演し続けることとなった。20年後、60代になったロビンは、契約更新のためにミラマウント社を訪れ、とある会議が開かれる会場へと向かう。

社会学者の宮台真司氏がポケモンGOについて言及した際に名前を挙げていたため鑑賞。

アリ・フォルマン監督に関して何の知識もなかったため、途中でアニメーションになった時にはけっこう驚いたのだが、同時にある種の快感を感じられたのは良かったなと思う。

この作品は「仮想現実」についての話である。今まで「仮想現実」と聞くたび「そんなの絶対現実の方が良いに決まってる」と思ってきたのだが、作中で実写世界がアニメ世界へと移行していった時、その映像的快感ゆえに「もし行けるならアニメの世界も行ってみたいな」という感想を抱いてしまった。たぶん、こんな風に「仮想現実」を受け入れ、気が付いたら「仮想現実」の中にいて、その時には「仮想現実」が「現実」になっているのだろう。

意図したわけではないが、先日鑑賞した『バードマン』と類似点があって、その点でも興味深かった。両者とも、「落ち目の俳優」が主人公であり、「ハリウッド批判」を含む作品であった。

『コングレス』で、ロビン・ライトはCG女優になる契約を結ぶ代わりに女優活動を禁じられる。映画出演だけではない、学校や公民館のような所でやる芝居でも演技をしてはいけないという契約だ。もし自分が彼女の立場だったら、CGになることよりもこの条件の方が受け入れ難い気がする。俳優が俳優活動を禁じられたら、生きている意味を失ってしまうのではないだろうか。

また、リアルと似非リアルを扱う作品で、主役が「俳優」という設定も素晴らしい。『バードマン』で映画俳優と舞台俳優の対立が描かれていたが、エドワード・ノートンが演じた舞台俳優は舞台上で「リアルに生きる」ことに拘って、「本物」の酒を飲んだり「本物」のセックスをしようとしたりしていた。果たして、「演技」と「本物」の境はどこにあるのか、二作続けてそんなことを考えさせられる作品であった。

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